はりつけ松跡(八上)
~お牧の無念の最期~

八上城跡(八上)
~名武将でも落とせぬ鉄壁の山城~

高城山(八上)
~八上城が立つ秀峰『丹波富士』~

朝地池跡(八上)
~娘の身投げによる呪い~

四十九院の修行僧(曽地)
~猛火に焼き尽くされる寺院~

般若寺城跡(般若寺)
~明智光秀の本拠地~

乙女塚(野中)
~城主を想う侍女の末路~

波多野秀治のお墓(味間)
~丹波篠山の名武将が眠る~

はりつけ松跡(八上)

私が、はりつけ処刑にされた松の木跡。
今は、もう跡地しか残っていないわ。
昭和初期まで直径1mもある老松の根株が残っていたそうよ。
和平のために人質になったけれども、悲しい最期だったわ…。

八上城跡(八上)

明智光秀と激闘を繰り広げた際に、わしが本拠地とした山城だ。
織田信長が天下統一を掲げた後に、明智光秀や羽柴秀長らの丹波攻めにより11回ほどの攻撃を受けたが、八上城はゆるがなかったほどだ。まさに難攻不落の山城であった。

高城山(八上)

攻め落とすのに苦労した八上城がそびえ立つ秀峰。尾根伝いに多くの石垣が築かれており、防御態勢が鉄壁であった。そのため、私は直接攻撃で落とすのではなく、兵糧攻めを選んだ。形が富士山に似ており、『丹波富士』と呼ばれるほどだそうだ。

朝路池跡(八上)

明智光秀との戦いで籠城戦になった際に、命の水を貯めておく池であった。そして、この池はわしにとっては悲しい場所である。八上城落城の際に私の娘、朝路姫が身投げをしたのである。そして、不思議な言い伝えがあり、1人でその池の水面をのぞき、自分の顔が美人に見えた者は年内に亡くなるとか。

天正の首塚(曽地)

籠城戦の際、わしらを助けるために曽地村の僧たちが城内に兵糧をこっそり運びこんでくれたのだ。しかし、明智光秀に見つかり、その僧の寺々は火をつけられ、猛火によって燃やされてしまった。そして、僧たちは次々に首をはねられ斬殺された。
今も彼らの無念を祀る首塚がある。

般若寺城跡(般若寺)

私が八上城に籠る波多野秀治と戦うために、篠山川を隔てて築いた山城。ここが丹波篠山での戦いの本拠地であった。
母を波多野側に人質として差し出し、降伏に応じた波多野秀治と初めて対面した場所でもある。

乙女塚(野中)

八上城落城の際に、わしに仕えた侍女たちが城から抜け出し、逃げ延びようとした。しかし、燃え上がる八上城の最期を見ながら逃げることをやめ、全員で自害したのだ…。城主であるわしを想い、ともに散ることをきっと選んでくれたのだろう。この塚は、そんな城主想いの侍女たちを祀る場所である。

波多野秀治のお墓(味間)

私と死闘を繰り広げた、波多野秀治公が眠る墓だ。
兵糧攻めに対しても粘り強く戦い、地の利を生かして隙をついたゲリラ戦にも苦しめられた。
黒井城での戦いにて私を死の間際まで追い込んだ、敵ながら見事な武将であった。